だけじゃないTEIJIN!
2003年4月12日カトリーヌ役の女の子に夢中♪
ファッションセンスとかかわいらしい動きとか。もうたまらん! めちゃくちゃかわいい!
今日はなんと! お見合いパーチーに出席!!
予てからの計画を実行に移したのだ! ハッハッハッハッ!!
て、雨降ってきたやん!! コンビニで傘買うハメに(涙)。天気予報見てへんかってん〜〜。
つか、二日連続で銀座へ(笑)。今日は友達と待ち合わせる前に松屋のペットショップへ。小学生の女のコと同じようにしゃがんで、ケージに一人でいたフェレをかまいたおしてきた(笑)。後ろから見たら私も小学生に見えたと思う。
彼女とはお互いちょっと気まずいながらも、同種のペットオタク臭を感じて微妙な距離を保ちつつ、各々好みのペットを満喫した。
小さい頃の私に似ているな、とセンチメンタル。
小さい頃からすごく動物が好きなのだ。私の動物好きの原点を探ってみよう。
地元の、今はすでにないデパートもどきの前の道端に、人が集まる週末だけ、露店のペット売りのおじさんが出没した。
売ってる動物は、その当時まだ珍しかったゴールデンハム、ミニウサギ、雑種系の子犬、子猫、カブトムシの幼虫、スズムシやコオロギなど。
ハムの首に手芸用の色とりどりの紐を結んで、集まってきた客の肩に乗せたりしていた。のちに、首だけだと命の危険からか、片腕を出す結び方にしていたが。
私はその場をなかなか離れず、母を困らせた。買ってくれと道端で駄々をこねたことも一度や二度ではない。しかし買っても子供の常? かすぐにあきてしまいロクに世話もしないので母が許可してくれないのもムリもなかった。
田舎なので、今こちらでみられるようなちゃんとしたペットショップというものが、当時は皆無に等しく、そのおじさんのとこか、お祭りの夜店のひよこ釣りなどの特別の場合でないと動物と触れ合うことは難しかった。
ペットを飼うのはそれなりのお金と手間がかかる。
私が幼かったときは両親も若く、子育てに必死でペットを飼って世話をする余裕など全くなかったのだろう。なにせ大家族、母は嫁いでかなり長い間父の弟たちの面倒を見つづけた。
物心ついた頃から、私は動物好きだった。うちには犬が常にいて、小さな私が世話をすることはほとんどなかったけれど、近所に飼われていたポメを毎日見に行っていたくらいだ。うちにいた犬はドーベルマンで、ガキにはデカすぎたから。
経済的余裕のなさと面倒見る手間、死んだときかわいそうだから、という理由で、母はペットを飼うことにいつも反対していた。
今ではそんな母が犬と寝てるのだから、変われば変わるものだ。
自分で働いて得たお金で、誰に気がねなくペットを飼う。小学生だった私の夢のひとつだろう。
クレちゃんを迎えたペットショップで、選ぶためにケージに手をつっこんでた私を羨ましそうに見ていた子供たち。「ふふん、私はお金持ってるの。誰にも迷惑かけずに面倒みられるの。あんたたちも私ぐらい稼ぐようになってから飼いなさい」と腹の中で思ったものだ。
ペットを飼うことは、自分が大人になったひとつの目安だった。
今8匹のハムたちと暮らしている。彼らは私なくしては生きられない。ちっこい脳ミソで、声をかければ寄ってくるし、手の匂いを覚えてちっこい舌で舐めてくれる。
ハムとの暮らしは、自分以外の誰かの面倒を見ることで己の存在理由としているようなフシがある。
「この子達は私がいないとダメなの…」。
癒されているというより、彼らに依存してる気がする。
マーシャルのシナモンの女のコ。新大久保のミスティックアルビノのコとは噛むチカラが全然違ってた。いいカンジの甘噛み。傷つくほど絶対噛まない。松坂屋のおねえさんにはマーシャルをハゲシクオススメされた。こんなとこなのかな、オススメポインツは。飼う気マンマンなので、ファームや色合いを気にするようになってきた。備品の値段も頭に入れ始める。フェレ貯金も考えてるし、フェレ資金のためのバイトもするつもり。行動せな。
肝心のお見合いパーチーの報告は次回に。自分を振り返る日記はいいなぁ。誰もおもしろくないだろうけど。ごめん、シクリン。
ファッションセンスとかかわいらしい動きとか。もうたまらん! めちゃくちゃかわいい!
今日はなんと! お見合いパーチーに出席!!
予てからの計画を実行に移したのだ! ハッハッハッハッ!!
て、雨降ってきたやん!! コンビニで傘買うハメに(涙)。天気予報見てへんかってん〜〜。
つか、二日連続で銀座へ(笑)。今日は友達と待ち合わせる前に松屋のペットショップへ。小学生の女のコと同じようにしゃがんで、ケージに一人でいたフェレをかまいたおしてきた(笑)。後ろから見たら私も小学生に見えたと思う。
彼女とはお互いちょっと気まずいながらも、同種のペットオタク臭を感じて微妙な距離を保ちつつ、各々好みのペットを満喫した。
小さい頃の私に似ているな、とセンチメンタル。
小さい頃からすごく動物が好きなのだ。私の動物好きの原点を探ってみよう。
地元の、今はすでにないデパートもどきの前の道端に、人が集まる週末だけ、露店のペット売りのおじさんが出没した。
売ってる動物は、その当時まだ珍しかったゴールデンハム、ミニウサギ、雑種系の子犬、子猫、カブトムシの幼虫、スズムシやコオロギなど。
ハムの首に手芸用の色とりどりの紐を結んで、集まってきた客の肩に乗せたりしていた。のちに、首だけだと命の危険からか、片腕を出す結び方にしていたが。
私はその場をなかなか離れず、母を困らせた。買ってくれと道端で駄々をこねたことも一度や二度ではない。しかし買っても子供の常? かすぐにあきてしまいロクに世話もしないので母が許可してくれないのもムリもなかった。
田舎なので、今こちらでみられるようなちゃんとしたペットショップというものが、当時は皆無に等しく、そのおじさんのとこか、お祭りの夜店のひよこ釣りなどの特別の場合でないと動物と触れ合うことは難しかった。
ペットを飼うのはそれなりのお金と手間がかかる。
私が幼かったときは両親も若く、子育てに必死でペットを飼って世話をする余裕など全くなかったのだろう。なにせ大家族、母は嫁いでかなり長い間父の弟たちの面倒を見つづけた。
物心ついた頃から、私は動物好きだった。うちには犬が常にいて、小さな私が世話をすることはほとんどなかったけれど、近所に飼われていたポメを毎日見に行っていたくらいだ。うちにいた犬はドーベルマンで、ガキにはデカすぎたから。
経済的余裕のなさと面倒見る手間、死んだときかわいそうだから、という理由で、母はペットを飼うことにいつも反対していた。
今ではそんな母が犬と寝てるのだから、変われば変わるものだ。
自分で働いて得たお金で、誰に気がねなくペットを飼う。小学生だった私の夢のひとつだろう。
クレちゃんを迎えたペットショップで、選ぶためにケージに手をつっこんでた私を羨ましそうに見ていた子供たち。「ふふん、私はお金持ってるの。誰にも迷惑かけずに面倒みられるの。あんたたちも私ぐらい稼ぐようになってから飼いなさい」と腹の中で思ったものだ。
ペットを飼うことは、自分が大人になったひとつの目安だった。
今8匹のハムたちと暮らしている。彼らは私なくしては生きられない。ちっこい脳ミソで、声をかければ寄ってくるし、手の匂いを覚えてちっこい舌で舐めてくれる。
ハムとの暮らしは、自分以外の誰かの面倒を見ることで己の存在理由としているようなフシがある。
「この子達は私がいないとダメなの…」。
癒されているというより、彼らに依存してる気がする。
マーシャルのシナモンの女のコ。新大久保のミスティックアルビノのコとは噛むチカラが全然違ってた。いいカンジの甘噛み。傷つくほど絶対噛まない。松坂屋のおねえさんにはマーシャルをハゲシクオススメされた。こんなとこなのかな、オススメポインツは。飼う気マンマンなので、ファームや色合いを気にするようになってきた。備品の値段も頭に入れ始める。フェレ貯金も考えてるし、フェレ資金のためのバイトもするつもり。行動せな。
肝心のお見合いパーチーの報告は次回に。自分を振り返る日記はいいなぁ。誰もおもしろくないだろうけど。ごめん、シクリン。
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